西部ニューギニア
池中征司本会監事を団長とする西部ニューギニア慰霊友好親善訪問団は、2月4日靖国会館に参集、結団式の後、ご本殿に上がり正式参拝、翌日成田空港よりジャカルタに向け出発した。
翌6日にはジャカルタからソロンに移動じ慰霊祭を行う。7日にはマノクワリに入り、マルピ、マンガッピ、アンバン海岸で亡き父に手を合わせる。
翌日にジャヤプラに移動し9日にチャーター機にてサルミで慰霊祭、10日にはビアク島に渡りサバ農場跡、天水山近くで慰霊祭を行った。2月11日には「第二次世界大戦慰霊碑」にて全戦没者追悼式を挙行し慰霊の誠を尽くした。
また、一行は、ジャヤプラで小学校、病院を訪問、学用品や車椅子を寄贈し民間外交を行い、2月13日無事帰国した。
東部ニューギニア
東部ニューギニア慰霊友好親善訪問団(総括団長・國政隆昭本会常務理事他11人)は、2月13日、東京・靖国会館に集合し結団式を行い、当日夜、成田空港を出発し、翌朝、オーストラリアのケアンズ経由でパプアニューギニアのポートモレスビーに到着した。その後一行は、2班に分かれ、それぞれ縁の地へと向った。
A班はブナ、ギルワ、ブーツ、ボイキンで、B班はサラモア、ラエ、マダンで慰霊を行い、亡き父上へ冥福を祈った。B班はチャーター機でノコポ、ワウ、サラモア上空を旋回しながら遥拝し、亡き父への思いを馳せた。A班はボイキン、クブレン、戸里川、坂井川、アイタペ、メンポールでの機上遥拝を予定していたが、ニューギニア航空の機材故障の影響により、行程が大幅に変更となり中止となった。
17日には、ウエワクにある日本政府建立の「ニューギニア戦没者の碑」にて全戦没者追悼式を挙行、ご英霊に感謝の誠を捧げた。また、友好親善では、A班がポポンデッタ病院へ、B班はウエワク総合病院へそれぞれ車椅子を寄贈した。さらに、A・B班一緒にウエワクのベタニーヒルズ小学校を訪問し、団員が持ち寄った学用品・衣類等を寄贈し、現地の方々との友好を深めた。20日、所期の目的を果たした一行は、それぞれの思いを胸に全員無事に帰国した。
市來健之助本会副会長(山口県遺族連盟会長)を団長とする台湾・バシー海峡慰霊友好親善訪問団は、一月十八日、全国十一都県の遺児代表十三人が東京・靖国会館に集合し結団式を行い、靖国神社で旅の安全を祈願し昇殿参拝を行った。翌日成田空港から台北へと降り立ち、北東方の宜蘭に向かった。二十日、宜蘭では台北陸軍病院の宜蘭分院跡で慰霊祭を行い亡き父を偲んだ。さらに訪問団は宜蘭から西進して台中へと南下。途中白沙岬の燈台に立ち寄り台湾海峡を望み花束を手向け手を合わせた。
二十一日、台中から海岸線を北上し西海岸から北西方面を望んで慰霊祭、亡き父たちに積年の思いを語り一路懇丁へと南下した。二十二日朝、ホテルの会議室で慰霊祭を行い、祭壇に故郷から持参した品々を供えて亡き父に語りかけ、冥福を祈った。慰霊祭終了後、中型ボートを借り上げ、やや荒波の中をバシー海峡方面へ南下。沖合いの海上で船と運命を共にした父上をはじめ、ご英霊に花やお酒を手向けて懇ろに弔った。
二十三日、猫鼻頭の海峡海域で海没された霊を弔うため建立された潮音寺で、全戦没者追悼式を挙行し戦没された方々の霊魂安かれと祈った。同日訪問団は台北へと戻り、日本と台湾の架け橋となっている日本台湾交流協会台北事務所の方々を招いての懇談会を開催し、意見交換がなされた。
友好親善では帰国日の二十四日に台北市松年福祉会「玉蘭荘」を訪問し、日本台湾交流協会立会いのもと、車椅子を寄贈し民間外交を務め、帰国の途についた。
國政隆昭本会常務理事(鳥取県遺族会会長)を総括団長とする戦没者遺児によるミャンマー・タイ慰霊友好親善訪問団は、11月28日から12月6日までの9日間、永年の念願であったミャンマー・タイの各地を訪れ、亡き父の眠る地において70有余年に及ぶ思いを父と語らい、慰霊を行ったほか、小学校や病院を訪問し、学用品や車椅子等を寄贈するなどの民間外交を行い、友好親善を深めた。
11月27日、全国の遺児代表36人が東京・千代田会館に集合し結団式を行い、靖国神社にて昇殿参拝後、前泊の成田へ移動。翌日の28日成田を出発し、同日A班・B班はヤンゴンに、C班はヤンゴン経由でバンコクに到着した。
翌日29日より3班に分かれ、それぞれの慰霊地へと向かった。A班はテニー村、キャクタガ東方、スワ東方、トングー東方、ピュー東方、カレワ北方、カレミョウ西方、ヤンゴン。B班はミートキーナ、モガウン方面、マンダレー、メイミョー、エンガン方面、ピヨベ、メークテーラ、パガン方面。C班はバンコク、クンユアム方面、アンポパイ方面、モールメン、ラーヘン方面へと向かい、それぞれ慰霊祭を執り行い、亡き父に積年の思いを語りかけ、共に散華された英霊の冥福を祈った。
また、A班はペグーとヤンゴンの小学校へ、B班はミートキーナの小学校へ、C班はメーホンソーンの小学校を訪問し、団員が持ち寄った学用品等を贈呈し、子供たちと交流を図り、楽しいひとときを過ごした。
さらに、A班はカレミョーの総合病院、B班はパガンの総合病院、C班はモールメンの総合病院へ、それぞれ車椅子を寄贈し、現地の方々との友好を深めた。
12月4日には、ヤンゴン市街の北オカラッパ日本人墓地「ビルマ平和記念碑」前にて、在ミャンマー日本国大使館代表並びに日本人会代表の参列の下、全戦没者追悼式を挙行し、英霊に感謝と追悼の誠を捧げた。
一行は6日、所期の目的を果たし、亡き父との別れを惜しみつつ、それぞれの思いを胸に帰国の途に就いた。
日本遺族会は、厚生労働省の補助事業である「戦没者遺児による慰霊友好親善事業」のフィリピン、ソロモン諸島の2地域を実施した。2地域に総勢93人の遺児が参加した。
フィリピン
宇田川剱雄本会副会長(東京都遺族連合会会長)を総括団長とするフィリピン慰霊友好親善訪問団(全国の遺児代表85人)は11月2日、東京・靖国会館に集合し結団式を行うとともに、靖国神社で旅の安全を祈願した。翌朝フィリピンへ向け出発し、マニラ到着後はそれぞれ縁の地へと向った。
A班はテレサ、タナイ、シニロアン、マリキナ、モンタルバン、ボソボソ、マニラ港(埠頭内)、マニラ市内(オーシャンパーク内)、イポで、B班はシニロアン、ボソボソ、モンタルバン、ハゴノイ、ルセナ、バタンガスで、C班はクラーク、タルラック、ボンドック道、イリサン、サンタクルズ、マシンロックで、D班はバレテ峠、バンバン、バヨンボン、オリオン峠、キャンガン、バナウエで、E班はパナイ島イロイロ方面、ナソ岬方面海岸、セブ島セブ、レイテ島オルモック港(埠頭)、カンギポット、カナンガ、パロ、ドラッグ海岸、ブラウエン旧飛行場跡で、ぞれぞれ慰霊祭を行い、亡き父へ積年の想いを存分に語りかけた。
また、友好親善事業では、各班、訪問先の小学校でサッカーボールや団員が持ち寄った学用品・衣類等を贈呈し、子供たちと交流し心を和ませた。さらに、病院を訪問し車椅子を寄贈し現地の方々との友好親善を図った。
8日、カリラヤの「比島戦没者の碑」前において全戦没者追悼式を挙行し、散華された英霊に感謝と追悼の誠を捧げた。さらに、同夜は日本国大使館代表等を招いて懇談会を開催した。所期の目的を果たした一行は、九日それぞれの想いを胸に帰国した。
ソロモン諸島
中井靖教本会評議員(奈良県遺族会会長)を団長とするソロモン諸島慰霊友好親善訪問団は、11月21日、全国6都県の遺児代表8人が東京・靖国会館に集合し結団式を行い、靖国神社で旅の安全を祈願し昇殿参拝を行った。同夜成田空港を出発し翌朝オーストラリア・ブリスベンを経由して、ソロモン諸島の首都、ガダルカナル島のホニアラに歩を印した。
23日にはマタニカウ川、コカンボナ、ママラ川で慰霊祭を行い、祭壇に故郷から持参した品々を供えて亡き父に語りかけ、午後はニュージョージア島のムンダに移動。24日朝、ホテル前で海を望んで個人慰霊祭を執り行い、亡き父たちの冥福を祈った。小型ボートを借り上げ、スコールと波しぶきの中をコロンバンガラ島方面へ。波の穏やかな海上で艦と運命を共にした父上をはじめ、ご英霊に花やお酒を手向けた。午後には激戦の地となった三角山で積年の思いを語りかけ、懇ろに弔った。
友好親善の一環として、ムンダの小学校でラグビーボールや団員が持ち寄った学用品や衣類等を寄贈、記念の植樹を行うなど明日を担う子供たちと交流を深めるとともに、ホニアラの赤十字特別支援センターでは車椅子等を寄贈し民間外交に務めた。
26日、アウステン山の戦没者慰霊碑で在ソロモン日本国大使館代表の参列のもと、全戦没者追悼式を挙行し哀悼の誠を捧げた。同夜にはセントニコラス小学校教師、児童を招いて懇談会を開催し、交流を深めるなど、所期の目的を果たした一行は、28日無事帰国の途についた。
日本遺族会は、厚生労働省の補助事業である「戦没者遺児による慰霊友好親善事業」のボルネオ・マレー半島、マリアナ諸島、トラック・パラオ諸島地域を実施した。3地域に総勢39人の遺児が参加した。