静岡県遺族会青年部(つつじ会)は、10月30日、「令和3年度つつじ会研修会」として、静岡県の各市町遺族会青年部代表等16名が参加し、東京への日帰り視察研修を実施した。
一行は靖国神社に参集し、初めに大石功静岡県遺族会副会長から「遺族会の後継者である青年部の皆さんには、戦争の悲惨さを語り継いでいってもらうために、今日の研修でしっかりと学んでいただきたい。」と挨拶があり、全員で昇殿参拝し、英霊の冥福を祈った。
その後、遊就館を見学した一行は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れ、戦没者が納骨されている六角堂で手を合わせた。
最後に昭和館で、学芸員の解説により、戦中、戦後の国民のくらしを伝える展示室を視察した後、「昭和館の語り部事業」と題して、坂尻麻子図書情報部長による講義を受けた。講義では、戦争体験について戦争を知らない世代へ語り継ぐ方法、次世代の語り部の育成、遺族会青年部だからこそ伝えられることなどについて話があり、参加者は熱心に耳を傾けていた。
兵庫県遺族会青年部が中心となり、10月3日、「令和3年度戦没学徒追悼式」が南あわじ市の追悼施設、若人の広場公園で執り行われた。日本遺族会を代表して水落敏栄会長が参列し、追悼の辞を述べ、参列者は、太平洋戦争中に戦火に散った全国の学徒約20万人の冥福を祈り、恒久平和を誓い合った。
学業半ばでさまざまな軍需工場での生産に動員、または戦地へと送られた学徒は約400万人に及び、そのうち約20万人の若い尊い命が犠牲となっている。
追悼式が催された「戦没学徒記念若人の広場」は、亡くなった男女学徒を追悼する施設として、1967年に建設され、広場に建てられた記念塔の下部には「若者よ 天と地をつなぐ灯たれ」と記された「永遠の灯」が灯された。その後、阪神・淡路大震災の被害により閉鎖を余儀なくされたが、終戦70年の節目の年の2015年に再び開園した。
追悼式は、午前11時30分から、松尾恭子神戸市須磨区青年部長の司会により進行し、参列した地区遺族会役員、青年部員等32人は、戦没した学徒の御霊の冥福を祈り記念塔に向かって黙祷を捧げ、白菊を献花した。
兵庫県遺族会を代表して追悼のことばを述べた北浦基広青年部長は、「私たち遺族会青年部は、日本が成熟社会へとさらに発展していくことを希望し、世界の恒久平和確立のために私たちが努力を重ねそのための活動をこれからもつづけていきたい」と決意を新たにした。
福岡県遺族連合会で青年部活動推進部(青年部)が結成された。
令和2年11月29日、福岡県の筑前町立大刀洗平和記念館で青年部活動推進員研修会及び福岡県青年部活動推進部発足式が開催された。
発足式では、部長に就任した栗原渉氏が挨拶し、青年部活動推進員及び青年部活動推進部の設置等について、推進員設置から第一回までの研修会、推進員の組織化に向けた検討委員会の設置・意見等について具体的に経過が報告されまた、「福岡県青年部活動推進部設置要綱」に基づき活動を開始することが決定された。
なお、支部数は30支部、会員数は、149人(令和3年1月現在)。
今回の福岡県での青年部結成で全国の青年部組織は38支部となった。
岡山県遺族連盟で青年部が結成され、11月15日、岡山県護國神社の「いさお会館」会議室で青年部会議が開催された。
はじめに、青年部員の中から江本公一氏が青年部長に選出され、議長に就き議事に入った。
会議では、令和2年度県連盟青年部事業計画(案)として、護国神社、忠魂碑等の護持、慰霊研修事業及び全国戦没者追悼式への孫・曾孫の参加促進等の英霊顕彰事業、青年部会議や研修会の開催、孫・曾孫等の入会の促進等の組織強化事業などに関する具体的な青年部の活動について審議され、承認された。
また、組織の後継者としての目的を定めた青年部規約に基づいて、戦没者の孫・曾孫等の青年部への入会を促進していくことが確認された。
今回の岡山県での青年部結成で、全国の青年部組織は37支部となった。
日本遺族会青年部は、遺族会の後継者育成を目的とし、青年部が主体となって企画したフィリピン戦跡慰霊巡拝を実施した。全国から参加した孫、ひ孫、甥、姪等46人の団員は、亡き戦没者の足跡を辿り、各地での慰霊祭を経験することにより、戦争の悲惨さ、平和の尊さを語り継ぐ思いを新たにし、青年部として初めての記念すべき慰霊事業となった。
水落敏栄本会会長を総括団長とする日本遺族会青年部フィリピン戦跡慰霊巡拝団は、1月9日、靖国神社に集合し結団式を行い、靖国神社に昇殿参拝した後、A班は成田空港からB班は羽田空港からマニラに入った。
翌朝、A班、B班そろってマニラ市内のリサール公園を訪れ、水落総括団長、畔上和男(本会専務理事)B班団長、北浦基弘(本会青年部幹事)A班副団長、辻正人(本会青年部長)B班副団長が揃って衛兵の誘導でリール記念碑に代表献花し、団員全員が拝礼した。
その後、各班に分かれ、A班はルソン島のリサール公園内日本庭園、東方山地ボソボソ、イポダム、クラーク飛行場跡で、B班はレイテ島のタクロバン、パロ、リモン峠、カンギポット山、ビリヤバで慰霊祭を執り行った。戦没者が辿った激戦の地を目の当たりにし、その苦闘を肌で感じた団員は、慰霊祭で涙ながらに亡き肉親に対して追悼文を読み上げ、英霊の冥福を祈った。
12日、巡拝団は、日本政府が建立したカリラヤの「比島戦没者の碑」にて、在フィリピン日本大使館桑原敦公使、岡田岳大一等書記官参列の下、全戦没者追悼式を挙行した。水落総括団長、桑原公使、辻副団長がそれぞれ追悼の辞を述べ、団員全員が祭壇に献花し、英霊に哀悼の誠を捧げた。
同夜、桑原公使、岡田一等書記官を招いての懇談会を開催した。懇談会は工藤みや子(青森県遺族連合会青年部長)B班団員の司会進行で始まり、巡拝団を代表して辻B班副団長が挨拶し、北浦A班副団長が乾杯の発生をした。今回の戦跡慰霊巡拝を通してお互い兄弟姉妹のように打ち解けた団員は、旅の思い出を語り合い、今後の青年部のあり方等を意見交換するなどして、有意義な懇談会となった。
この日、バタンガス州のタール火山が約四十五年振りに噴火したことにより、巡拝団のフライトが遅延、欠航する事態に見舞われたが、日本大使館、旅行社添乗員の尽力により、B班は十三日の夕刻に、A班は十四日の早朝に全員無事帰国した。