トップ » 日章旗等返還の取組み »
OBONソサエティから本会に照会があった高野正二氏の日章旗について福島県遺族会へ遺族の捜索を依頼していたところ、いわき市遺族会や田人町遺族会の協力を得て、甥の高野学さんがいわき市内に在住していることが判明した。
フィリピンのルソン島クラークで戦死した高野氏の日章旗は、インディアナ州在住のロニー・ニコルソンさんの父親(元米兵)が戦地から持ち帰ったもので、ロニーさんは父親が亡くなる前に、旗を遺族のもとへ返すよう託されたため、OBONソサエティに依頼していた。
8月10日、いわき市田人支所で返還式が行われ、家族や近隣住民が正二氏の武運を祈り寄せ書きした日章旗が、学さんに引き渡された。学さんは「お盆を前に、姿を変えて故郷に帰ることができ、おじは喜んでいると思う」と語った。
京都府では、昭和19年にフィリピンのレイテ島で戦死した田中新三氏が京都市中京区から出征した際に戦地に持参した日章旗を京都府遺族会の協力を得て調査し、次女のしげ子さんが京都市内に在住していることが判明した。
日章旗は、米兵が戦利品として持ち帰ったと思われ、所有者の米国人がOBONソサイエティの活動を知り、遺族の捜索を依頼していた。
6月20日、中央区の市役所で返還式が開かれ、OBONソサイエティ日本メンバーの國松善次・元滋賀県知事から遺族へと日章旗が引き渡された。受け取った次女しげ子さんは、当時の地域住民が新三氏の武運長久を祈り寄せ書きした旗を手にし、「戦後72年かかって、ようやくお父さんが帰ってきた。」と涙ぐんだ。
秋田県では、昭和20年にフィリピンのルソン島で戦死した秋田市出身の齋藤千代松氏が戦地に持参した日章旗が秋田県遺族連合会の調査によって、長男の信夫さんが秋田市内に住んでいることが分かった。
日章旗は、ニューヨーク州在住のバリー・グロサースさんが、元米兵だった父親が戦地から持ち帰ったものを他界後に譲り受け保管していたが、OBONソサエティの活動をテレビ番組で見て日章旗に込められた意味を知り、遺族への返還を希望していた。
6月21日、秋田県遺族会館で返還式が行われ、伊藤薫・秋田市遺族会会長から伸夫さんと妻のキミ子さんに日章旗が手渡された。伸夫さんは、「父が肌身離さず持っていた日章旗は父の魂そのもの。ようやく故郷に帰ってきてくれた」と涙ながらに語った。
また、旗を保管していたグロサースさんからは遺族に対し、「ご遺族へ旗を返すことができて嬉しいです。戦争は悲惨です。戦争は何の答えにもならないことを私たちは学ばなければなりません。皆様がこれからも平和であることを祈ります。」とメッセージが届けられた。
日本遺族会は、戦没者の遺品の返還活動を続ける米国の「OBONソサエティ」に協力している。今回本会に照会があった元米兵が戦地から持ち帰った日章旗について、持ち主の本籍地である秋田県と茨城県の支部遺族会で調査した結果、それぞれ遺族が判明し、返還式が行われ、日章旗は無事遺族に引き渡された。
日本遺族会では、戦没者の遺品の返還活動を続けている米国の団体「OBON SOCIETY」に協力しています。
※OBON SOCIETYは4月7日付で、日本で一般社団法人として認可されました。
OBON SOCIETYから今回本会に照会があった亀石脩氏の遺品(帽子)について茨城県遺族連合会へ捜索を依頼していたところ、甥の亀石清さんが笠間市内に在住していることが判明した。
ニューギニア島のセンタニで戦死した亀石氏の帽子は、戦地から持ち帰った元米兵が保管していたが、他界後に譲り受けた家族がOBONの活動を知り、遺族への返還を申し出ていた。
3月22日、笠間市役所で、帽子が清さんに無事引き渡された。帽子には、亀石氏の名前と旧日本海軍が帽子を交付した年月日を記した札が縫い付けられており、受け取った清さんは、「写真も全くないので、唯一の遺品となる。」と語った。