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日本遺族会では、「戦没者等の遺留品の返還に伴う調査一式」事業を厚生労働省から委託を受け、アメリカのNPO法人OBONソサエティと業務提携をして、一件でも多くの寄せ書き日の丸等の遺品がご遺族へ返還されるよう事業を推進しており、これまで400件を超える遺品をご遺族のもとへ届けております。
一方、無報酬で、すべてボランティアの手によって活動してきたOBONソサエティの財政は、昨今の急激な円安、アメリカ国内の物価高騰などにより、これまで以上に逼迫しており、運営自体が困難な状況に追い込まれている現状にあります。
このような状況に対して本会は、OBONソサエティが継続して活動できるよう、そして遺品の返還事業が途絶えることのないよう、OBONソサエティへの支援金を募ることといたしましたので、ご理解、ご賛同いただきますようお願い申しあげます。
なお、お預かりした支援金はすべて、本会を通じてOBONソサエティへ寄付させていただきます。
支援金のお振込み等については以下のとおりです。
本会が厚生労働省から委託を受け実施している「戦没者等の遺留品返還に伴う調査」事業で、OBONソサエティから本会に照会があった日章旗について、大分県で遺族が判明し返還された。
日章旗は、大分県速見郡日出町(旧藤原村)出身で、昭和20年7月1日に沖縄で戦死した後藤今朝治(けさじ)さんのもので、カリフォルニア州在住のリンダ・ハーンさんが元米兵の父親から譲り受け大切に保管していた。
今回大分県遺族会連合会、日出町藤原遺族会の捜索により遺族の所在が分かり、1月16日、大分県護国神社で返還式が行われた。返還式では、遺族を代表して孫の後藤辰徳さんが日章旗を受け取った。辰徳さんは「祖父にとって何よりの供養。平和や反戦の思いを新たにした」と話した。
式に出席した大分県遺族会連合会の末光秀夫会長(本会理事)は「家族に会いたい一心で、旗は帰って来たのではないか。平和の尊さを次世代に引き継いでいくことの大切さを再認識した」と述べた。
また、日章旗と一緒に届いたリンダさんから遺族に宛てたメッセージには、「この旗があなた方を少しでもお慰めできますよう望んでいます。旗があなた方のもとへ帰っていくことは、私の慰めにもなります」と綴られていた。
本会が厚生労働省から委託を受け実施している「戦没者等の遺留品返還に伴う調査」事業で、OBONソサエティから本会に照会があった遺留品2件(日記と日章旗)について、北海道斜里町出身の日本兵のものであることが分かり、北海道連合遺族会、斜里町遺族会の捜索でそれぞれ遺族の所在が判明した。
1月9日にOBONソサエティのボランティアスタッフ工藤公督さん(札幌在住)がアメリカから送られてきた遺留品を遺族の元へそれぞれ届け、直接手渡した。
日記は、昭和19年6月25日、西部ニューギニアのサルミで戦死した加納清吉さんが戦地で携えていたもの。加納さんは戦時中、斜里町の三井農林で働いていたが、召集されニューギニアへ出征した。日記には、北海道から横須賀、横須賀から船でパラオ、そして東部ニューギニアのウエワクに上陸してからの生活が綴られている。
日記を受け取った加納さんの甥の土橋逸男さんは「叔父さんのことは全く知らずにいました。このように返還を受けられてうれしい」と話した。
また、日章旗は、昭和14年に海軍に入隊し、昭和19年2月6日、南洋群島で戦没した大口勝安さんのもので、大口さんの実の妹である玉田光子さんと甥の大口保明さんが受け取った。
返還に立ち会った親族からは「こんなにお兄ちゃんを思っていたみっちゃん(光子さん)がいたから帰って来れたんだね」と、そして、光子さんも「初めて兄と言える日章旗に触れられて、長年の想いが叶った思いです。ありがとうございます。なんだか肩の荷が下りたというかとても嬉しいです。」と涙を流した。
本会が厚生労働省から委託を受け実施している「戦没者等の遺留品返還に伴う調査」事業で、OBONソサエティから本会に照会があった日章旗が、昭和20年6月11日にフィリピンのルソン島で戦死した、高知県土佐清水市出身の段崎初見さん(享年22歳)のものであることが判明し、10月25日、返還式が行われた。
この日章旗は、米国ハワイ州在住のクロ―イ・友美・グリア―さんの祖父が戦地から持ち帰り、家族で大切に保管されていたが、今回、高知県遺族会と土佐清水市三崎地区遺族会などが捜索し、遺族の所在が分かった。
返還式は土佐清水市役所で行われ、段崎さんの姪で野村季加さんら遺族8人が出席し、大石綏子高知県遺族会会長、吉名征郎三崎地区遺族会地区長らが見守る中、泥谷光信市長から日章旗が引き渡された。
日章旗を受け取った遺族は、初見さんの戦死の知らせが届いた時、初見さんの母親が泣き崩れた様子などを語り合いながら故人を偲んだ。
「戦没者等の遺留品返還に伴う調査」事業で、OBONソサエティから本会に照会があった日章旗について、山形県と福島県で遺族が判明した。
山形県では、日章旗が酒田市から出征し、昭和20年6月20日、フィリピンのルソン島で戦死した佐藤好さんのものであることが判明し、遺族に返還された。
日章旗は、米国ユタ州在住のドナルド・ストルニアーさんが元米兵の義父から譲り受け大切に保管されていたもので、山形県遺族会、酒田市平田遺族会の調査により遺族の所在が分かった。独身で出征した佐藤さんに関する手掛かり情報は少なく、遺族を特定するには半年以上を要した。
9月22日、酒田市地域福祉センターで返還式が行われ、丸山至市長から甥の佐藤厚さんへ日章旗が引き渡された。式には遺族の捜索に尽力した平田遺族会の東海林正会長も出席し、ともに返還を喜んだ。日章旗を受け取った厚さんは「おじのことは写真でしか見たことがないが、相撲が強い人だったと父から聞いている」と話した。
福島県では、米国ノースカロライナ州在住のピーター・シアラーさんがOBONソサエティに遺族の捜索を依頼した日章旗が、いわき市出身で昭和19年2月24日、マーシャル諸島ブラウン島で戦死した青木常雄さんのものであることが分かった。
判明した情報を基に、福島県遺族会、いわき市遺族連合会植田地区遺族会が遺族の所在をつきとめ、10月17日、いわき市の植田八幡神社で行われた返還式で、常雄さんの甥にあたる青木聖一さんに日章旗が引き渡された。
アメリカから届いた日章旗にはシアラーさんから「長い年月が経過してしまい誠に申し訳なく思いますが、日章旗の返還が皆様にとって心に安らぎがもたらされますよう心よりお祈り申し上げます」とのメッセージが添えられており、聖一さんは「終戦から76年が経ち戻ってきて驚いている。関係者に感謝したい」と述べた。