財務省は、8月30日に提出された各省庁の令和二年度概算要求の総額を104兆9千9百98億円と発表した
本会関係では、戦没者等遺族に対する特別弔慰金の支給に係る支給事務費(支給対象件数、約85万件)12億2千8百万円、遺骨収集事業等の推進として、本年度予算額に対し6億8百万円多い、29億6千9百万円、全国戦没者追悼式への国費参列遺族の増員(各都道府県55人→60人)、昭和館設備の特別修繕費に係る経費一億千百万円など本会の要望事項がほぼ盛り込まれている。特に、遺骨の鑑定などに係るDNA鑑定機器の導入経費や、遺骨鑑定人の現地調査費用、戦没者遺骨に関する研究の推進として形質人類学的鑑定(注・人骨の形態を基に性、年齢、祖先集団などを判定する手法)に係る費用などが大幅に盛り込まれた。
しかし、財務省は「施策の優先順位を洗い直し、無駄を徹底排除しつつ、予算の中身を大胆に重点化する」とし、年末の予算編成に向けて各省庁の要求を厳しく査定する方針を示している。このため、本会では各支部に対し、要望事項の完全実現に向けてそれぞれの地元における取り組みとして、「地元選出自民党所属国会議員」等に面会し、戦没者の処遇改善に関する本会の要望に理解と協力を求め、次年度政府予算に計上されるよう、全国の戦没者遺族が総力を結集し、年末まで運動を展開して行く。
日本遺族会が厚生労働省から委託を受け、日本政府がロシア連邦サハリン州スミルヌイフ地区ポペジノに建立した「樺太・千島戦没者慰霊碑」の維持管理状況を調査するため、8月20日から24日までの五日間、水落敏栄本会会長、他事務局職員1人を派遣した。
一行は8月20日、成田空港からユジノサハリンスクに到着。翌21日、小西克己在ユジノサハリンスク日本国総領館副領事の同行を得て慰霊碑調査に向かった。
22日、慰霊碑の維持管理を担うスミルヌイフ市役所を表敬、ベロババ市長らと慰霊碑維持管理について意見交換した。その後、ポペジノ村にある慰霊碑に向かい調査を実施。毎年積雪の影響を受け慰霊碑の床面が傷んでいたが、今年は事前にペンキが塗られ、概ね良好と判断した。午後には、ベロババ市長らに調査結果を報告し、今後の慰霊碑の維持管理を要請した。
ユジノサハリンスクに戻った調査団は23日午後、サハリン州政府文化局を訪ね、平野隆一在ユジノサハリンスク日本国総領事同席のもと、ニコリナ文化・公文書副大臣らと会談を行なった。水落会長から「今後も慰霊碑の管理や、戦没日本人の遺骨の収集にサハリン州政府の支援願いたい」と要請した。
同夜には、樺太・千島戦没者慰霊碑を建設する際、当時、現地政府の窓口となったベラノーソフ元州副知事、ドロフスカヤ元観光局長を招いて、今後も慰霊碑の維持管理、遺骨収集促進に向けサハリン州政府への助言等依頼した。
遺骨収集本来の在り方を望む
厚生労働省は、先の大戦の戦没者のご遺骨の収集方法等に関し、関係者の合意形成と広く国民の理解を得るため、有識者、遺族及び遺骨収集の担い手や専門家からなる「戦没者の遺骨収集の推進に関する有識者会議」を設置し、遺骨収集の在り方等について検討し、この程、中間とりまとめを厚労省に提出する事となっていた。本会は、この検討会議において議論されたDNA鑑定等の今後のあり方について遺族の心情に配慮していると言い切れない部分があることから、意見表明をした。
この有識者会議は「戦没者の遺骨収集の推進に関する検討会議(座長=増田弘・平和展示資料館名誉館長、立正大学法学部名誉教授)」で、水落敏栄本会会長(参議院議員)が中心に議員立法として平成28年3月に施行された「戦没者の遺骨収集の推進に関する法律」に基づいて、本年5月に厚生労働省内に設置された。(本会からは、畔上和男専務理事。遺骨収集経験者として、岡山県遺族連盟理事、笠岡市遺族会会長・秀平良子氏の両名が参画)
遺骨収集を「国の責務」とし、平成28年度から令和六年度までの九年間を遺骨収集の集中実施期間と定め、この法律の下に日本戦没者遺骨収集推進協会が設立され、事業は進められている。
検討会議では、集中実施期間からの三年間を検証し、今後六年間どのように遺骨収集事業を行っていくべきかを中心に検討していた。
戦後70年以上が経過し、関係者の高齢化に伴う遺骨情報の減少に加え、現地の環境の変化等により遺骨収集数の減少が指摘されていた。
そうした中で、遺骨を遺族に返還するために、平成十五年度から国費によるDNA鑑定(遺留品等がある場合が条件)が実施されていたが、近年の法医学鑑定技術の進歩等を踏まえ、遺留品等がない南方等戦闘地域の遺骨についてもDNA鑑定を拡大すべく、有識者や遺族、遺骨収集参加者、専門家が議論を重ねていた。
この検討会議において、本会は終始「一日でも早く、一柱でも多くのご遺骨を祖国へお迎えすることを第一義として考えてほしい。」と訴え、その上で、DNA鑑定を拡大する為に収集したご遺骨全てを焼骨せずに日本に持ち帰ることは、防疫面における不安、制度面や技術面での課題が解消されていないことや、鑑定後の弔い、処置等の方策が明確でないこと等遺族の心情に配慮していると言い切れないことから、急遽、正副会長が協議を行い、中間取りまとめが厚労省に提出される前に別掲の通り検討会議に、本会としての意見を表明した。
本会は創設以来、旧戦域に眠るご遺骨の収集を国に求め、国と共にご遺骨の収集をけん引してきた。その中で、常に戦没者に敬意を払い、ご遺族の心情を第一に、一日でも早く、一柱でも多くのご遺骨を祖国へお迎えすることを願ってきた。
DNA鑑定を拡大するための取組として、大学機関の体制、人材の育成の充実は望むところであり、決して反対ではない。
しかし、焼骨せずにご遺骨を国内に持ち込むための防疫面の不安、鑑定後のご遺骨をいかに弔うかなど検討すべき項目は多岐にわたり、今回の提言取りまとめは拙速であると言わざるを得ず、本意見の表明となった。
なお、検討会議の中間取りまとめ案については、議長預かりとなった。
また、令和7年度以降の遺骨収集については、遺骨の情報が得られる限り継続される事が確認されている。
靖国神社では、本年、創立150年の節目の年を迎えるにあたり、「本殿・拝殿・霊璽簿奉安殿関連工事」「靖国会館内装改修・休憩所設置工事」「境内外苑整備工事」の3事業が実施されていた。このたび、最後となっていた「外苑整備工事」事業の一つとして取り組まれた各都道府県の「さくら陶板」の竣成記念式典が6月12日参集殿で開催された。
靖国神社創立150年記念事業の一つである境内外苑整備工事に伴い、本殿への参拝誘導と慰霊の心に触れる空間を創作する「いざないプロジェクト」で、本会婦人部が奉納した「靖国の時計塔」の移設工事等を含め、外苑東側に「慰霊の庭」が整備された。「慰霊の庭」には「さくら陶板」が設置され、6月12日、竣成記念式典・内覧会が開催された。
午前11時、参集殿で行われた竣成記念式典では、山口建史宮司が記念事業の趣旨や経緯などを述べ、「さくら陶板」を制作・奉納した陶工が紹介された。
「さくら陶板」は、各都道府県の陶工が靖国神社の象徴でもある桜の花弁をモチーフとして、同神社に祀られている英霊の故郷の土を用いて丹精込めて制作したものである。
式典に続き、外苑中央広場特設会場で、内覧会が催され、宇田川剱雄本会副会長、山口宮司、崇敬奉賛会代表、陶工代表等によるテープカットが行われた。招待された遺族はそれぞれの都道府県遺族会の名称が記された「さくら陶板」を内覧し、竣成を祝った。
午前8時30分、雨が降りしきる中、本会から参加遺族76人をはじめ県内外から約650人が、糸満市役所前に参集し、第58回平和祈願大会が開催された。
開会のことばに続き、沖縄戦の犠牲者に対し黙祷が捧げられた。宮城篤正沖縄県遺族連合会会長が挨拶し、本会を代表して、水落敏栄会長(参議院議員)が挨拶した。次いで戦没者代表による平和アピール(別掲)が採択され、平和祈願大会は終了した。
午後9時、水落会長、古賀誠名誉顧問らを先頭に、団旗を掲げた平和行進団は、最後の激戦地となった糸満市摩文仁を目指し、時折激しい雨の降る悪天候の中出発した。参加者たちは、砲弾降りしきる中歩き続けた戦没者が辿った道程を一歩一歩踏みしめながら、犠牲者の冥福を祈り、世界の恒久平和を願い8.3キロを行進した。午前十一時、平和記念公園に到着、沖縄全戦没者追悼式に入場すると、式参列者から大きな拍手で迎えられた。
全戦没者追悼式には、安倍晋三内閣総理大臣や衆参両院議長のほか外務、防衛、厚生労働、沖縄担当の四閣僚が出席し、県内外の遺族ら約五千百人が参列して、正午の時報に合わせ黙祷を捧げた。追悼式では各代表が献花し、宮城会長が追悼のことば(別掲)を述べ、沖縄県の小学生が「平和の詩」を朗読するなど、会場は平和を願う祈りに包まれた。
午後2時、国立戦没者墓苑で本会主催の拝礼式を挙行し、慰霊碑に献花をした後、摩文仁の丘、米須霊域に建立されている各都道府県の慰霊塔を参拝した。
夜には、平和祈願慰霊大行進の本会参加者と沖縄県遺族連合会代表との懇談会を開催した。参加者は意見を交換し、交流を深め、来年も「慰霊の日」に再開することを誓い合った。