戦時中、出兵する兵士のために家族や知人らが寄せ書きした日章旗が近年、国内外のネットオークション等で売買されている。米国オレゴン州在住の歴史研究者レックス・ジークさんと妻の敬子(旧姓大杉)・ジークさんは、「亡き兵士や家族の気持ちを考えると忍びない」と、旗を遺族らの元へ還す運動を始めた。夫婦は、この運動を「OBON2015」と名付け、戦後七十年お盆までに一枚でも多くの日の丸を返還しようとネット上にサイトを立ち上げ情報提供を呼びかけている。敬子さんからこの運動におけるメッセージを寄せていただいたので下記に紹介する。
『未帰還の英霊たちは故郷へ帰りたいと願っています。大東亜戦争当時、米兵は日本兵の死体から戦利品となる物をくまなく捜しました。手紙や日記、写真、千人針、寄せ書き日の丸など、数知れず多くの遺品が米兵によって持ち去られたのです。元米兵が他界後に残された家族が遺品整理をする時、多くの米国人は、これらの遺品を日本へ返還したいと望んでいます。
敬子・ジークの祖父は、ビルマで戦死した未帰還兵の一人でした。戦後62年後に突然、祖父の「寄せ書き日の丸」が返還された時は、祖父の魂が家族に会いに帰ってきた。奇跡が起きたと思いました。しかし米国人の夫、レックス・ジークが調査をした結果、今でも何千点以上もの旧日本兵の遺品が海外にさまよっている事実を発見したのです。
戦後七十年目(2015年)の終戦日(お盆)を目標に少しでも多くの遺品が返還できるようにとの願いを込め、米国と日本の橋を繋げる草の根運動「OBON 2015」が2009年に誕生しました。詳細はホームページhttp://www.obon2015.com をご覧下さい。』
※ホームページをご覧いただき、日章旗の持ち主等に心当たりのある方は本会(電話03・3261・5521)または、「OBON2015」のメールアドレスまで情報提供いただきたい。
本年度の硫黄島遺骨帰還事業が大幅に拡大されたことに伴い、本会では政府に対し戦没者遺族による参加者を派遣協力している。
五月二十一日から三十一日までの「第一回開削・調査立会」に一人、六月十四日から七月三日までの「第二回開削・調査立会」に二人、五月三十日から六月十四日までの「第一回通常派遣」に五人、六月十八日から三十日までの「第二回通常派遣」に六人を派遣した。
開削・調査立会は、通常派遣の遺骨収容に先駆けての調査派遣で、政府により区分けされた調査地域を調査員が踏査し、自然環境等の保持に配慮したうえで、重機等による地下壕等の発掘が進められ、発掘された壕等において内部検証が実施され、以後の遺骨収容の必要性の有無が精査された。また、民間の物理探査業者による空洞探査が並行して行われた。
通常派遣では、開削・調査立会により遺骨収容の必要性が有りと判定された壕等において順次遺骨収容が実施された。
今回の調査及び遺骨収容が実施された地域は、硫黄島北西部の大坂山周辺から漂流木にかけての地域で、第一及び第二回通常派遣で延べ二十八柱が収容された。収容された遺骨は硫黄島にある厚生労働省の仮霊安室に安置され、来年二月に奉還される予定である。
六十五回目の終戦の日を迎えた八月十五日、東京千代田区の日本武道館で天皇・皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、政府主催の「全国戦没者追悼式」が行われた。追悼式には、戦没者の遺族ほか、菅直人総理をはじめ各界代表ら約六千人が参列し、正午の時報に合わせて戦没者に一分間の黙とうを奉げた後、天皇陛下が「おことば」(別掲)を述べられた。
天皇陛下のおことば
本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。