日本戦没者遺骨収集推進協会主催でパラオ諸島、ミャンマー、ビスマーク諸島への戦没者遺骨収集団が相次いで派遣され、本会からもそれぞれの派遣団に遺族が参加協力し、各地域で収容作業に従事した。所期の目的を終えて帰国した派遣団は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑での引渡式で、関係遺族が見守る中、厚生労働省へと遺骨を引き渡した。
パラオ諸島
パラオ諸島戦没者遺骨収集団は、2月24日から3月8日の期間で実施され、本会からは2人を派遣した。
派遣団はペリリュー島の中央高地(ブラディノーズリッジ/ウルムブロゴル山)、北部高地(水戸山・ヒル・ロー/アミアンガル山)、ホワイトビーチ周辺等の地表及び洞窟内を調査し、遺骨の発見に努めた。また、平成29年度現地調査派遣で既に収容されペリリュー州政府に預けていた未鑑定の遺骨を含め、日本から同行した慰霊事業人類学専門員が鑑定し、79柱を確認した。
3月5日、派遣団はペリリュー島内の「みたまの塔」において、焼骨式並びに追悼式を執り行い、戦没者の冥福を祈った。
ミャンマー
ミャンマー戦没者遺骨収集団は、3月7日から22日の期間で実施され、本会から4人を派遣した。
派遣団は二つの班に分かれて行動し、一班はサガイン管区カレミョー地区及びカレワ地区で収容作業に従事し、カレワ地区タジー村で1柱を収容し、既に過去の現地調査で収容されていた遺骨を合わせて12柱を確認した。二班は、シャン州ペコン地区で、地元住民が戦死した日本兵を洞窟に処分をしたという証言に基づき、洞窟内から約40柱を収容したが、現地住民の遺骨が二柱混在していることが判明したため、今回は遺骨を持ち帰ることを断念し、洞窟近くに保管場所を設置し安置した。
3月20日、ヤンゴンで合流した両班は、北オカラッパ日本人墓地の「ビルマ平和記念碑」前にて追悼式を挙行した。
ビスマーク諸島
ビスマーク諸島戦没者遺骨収集団は、3月7日から22日の期間で実施され、本会から4人を派遣した。
派遣団は、二つの班に分かれ行動し、一班は車両でアラワ、ブイン方面に入り、アラワ地区のコグアン村で2柱、マライ村で1柱を収容したが、ブイン地区では予定した場所での地権者からの許可が得られず今回は試掘を断念した。二班はボートでタロキナ地区に入り、現地住民の協力を得て、136柱を収容した。
ブカ島で合流した両班は、過去の現地調査で既に収容され安置されていた遺骨を含めて315柱をソファノ島で焼骨した。また、3月19日、追悼式を挙行し、英霊に哀悼の誠を捧げた。
日本戦没者遺骨収集推進協会(推進協会)は、マリアナ諸島、硫黄島、東部ニューギニアの遺骨収集派遣団を相次ぎ派遣した。各派遣団は無事帰還し、千鳥ヶ淵戦没者墓苑での引渡式で厚生労働省へ遺骨を引き渡した。
マリアナ諸島
マリアナ諸島戦没者遺骨収集派遣団は、1月31日から2月9日の期間で実施され、本会からは2人を派遣した。
派遣団は二つの班に分かれ、1班はサイパン島において、平成29年度現地調査派遣で既に収容され安置されている遺骨39柱を確認し、遺骨に付着している土砂の除去に従事した。2班はテニアン島で現地住民等に情報提供の呼びかけ及び事業の周知活動を行うとともに、寄せられた遺骨情報地点の確認に努めた。
その後、サイパン島で合流した両班は、2月6日、バナデル飛行場跡地で、焼骨式並びに追悼式を執り行った。
硫黄島
硫黄島戦没者遺骨収集第四回派遣団は、1月30日から2月15日の期間で実施され、本会から六人を派遣した。
派遣団は、掘削調査立会団の現地調査で選定された壕で遺骨収容作業を行った結果、コーストガード跡(米国沿岸警備隊跡)周辺で14柱、滑走路地区地下壕で2柱を収容した。
2月13日、天山の「硫黄島戦没者の碑」前にて追悼式を挙行し、翌日第2回派遣団が収容していた1柱とあわせ計17柱の遺骨を奉持し帰還した。
【硫黄島で収容作業】
東部ニューギニア
東部ニューギニア戦没者遺骨収集派遣団は、2月14日から3月1日の期間で実施され、本会から五人を派遣した。
派遣団は、二つの班に分かれ行動し、1班はオロ州、東セピック州、サンダウン州で23柱、2班はマダン州、モロべ州で60柱を受領・収容した。
東セピック州ウエワクで合流した両班は、2月26日、「ニューギニア戦没者の碑」で追悼式を挙行し、英霊の冥福を祈った。
日本遺族会は、日本戦没者遺骨収集推進協会が実施している海外に未だ残されている遺骨に関する情報収集を行う現地調査及び硫黄島の掘削立会調査に派遣協力しており、マリアナ諸島、ミャンマー、東部ニューギニア、ビスマーク・ソロモン諸島、硫黄島に本会から各調査に1人を派遣し、情報の収集、埋葬場所の試掘等の活動を続けている。
海外の戦域における現地調査は、現地で入手した情報、国立公文書館等における資料調査で厚生労働省から提供された戦没者の埋葬地を特定する情報、推進協会及び厚生労働省に寄せられている戦没者の遺骨に関する情報に基づき現地調査を実施することを目的としている。
マリアナ諸島には、9月と11月に派遣協力し、関係行政機関等と協議を重ね試掘の許可を得て、テニアン島の洞窟内等を調査した結果、58柱の遺骨を収容した。
ミャンマーには、9月と12月に派遣し、カレミョー、タム、トンザン、カレワ等で試掘を実施し、11柱を収容した。
東部ニューギニアでは、10月から11月の間に計3回の派遣が実施され、オロ州で35柱、マダン州で20柱、東セピック州及びサンダウウン州で19柱を収容した。
ビスマーク・ソロモン諸島では、7月と11月にソロモン諸島のガダルカナル島、ピエズ島、マサマサ島、ニュージョージア島、ベララベラ島、マライタ島を調査し116柱、9月にビスマーク諸島のブーゲンビル島タロキナ、ブインを調査し、29柱を収容した。
硫黄島の掘削立会調査は、渇水の影響で調査の中止が続いていたが、9月から12月にかけて計10回実施され、地中探査レーダーに反応があった滑走路地区集水区域、滑走路下及び着陸帯以外のコンクリート舗装反応箇所を対象とした掘削調査に立ち会った。
今後現地調査で収容した遺骨は、遺骨収集派遣団によって柱数等最終的な再鑑定が行われ、日本へと奉還される。
日本戦没者遺骨収集推進協会(推進協会)は、ソロモン諸島、インド、樺太・占守島の遺骨収集派遣団を相次ぎ派遣した。
ソロモン諸島
ソロモン諸島戦没者遺骨収集派遣団は、10月21日から11月2日の期間で実施され、本会からは3人を派遣した。
派遣団は、ガダルカナル島に10日間滞在し、本会が厚生労働省から委託を受けて実施していた海外未送還遺骨収集事業及び推進協会の現地調査において既に発見していた遺骨を含めて137柱を収容した。
その後、団員により丁寧に洗骨された遺骨は、10月30日焼骨され、同日、在ソロモン日本国大使参列のもと、追悼式が執り行われた。
11月2日、派遣団により奉持され帰還した遺骨は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑での遺骨引渡式で、関係遺族が見守る中、厚生労働省へと引き渡された。
インド
インド戦没者遺骨収集派遣団は、11月5日から11月16日の期間で実施され、本会から1人を派遣した。
派遣団は、マニプール州インパールで、州政府、インパール作戦財団等の現地関係者を表敬訪問し、遺骨情報について確認し、サンジャック村で2柱、フバラ村で一柱を受領した。
受領した遺骨は、マニプール州政府の遺骨鑑定人により日本兵と判定され、12日、コレンゲイ村において焼骨し、翌日、インパール市ロクパチンの「インド平和記念碑」で追悼式が執り行われた。
16日、無事帰国した派遣団は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑での引渡式で、奉還した遺骨を厚生労働省へ引き渡した。
樺太・占守島
樺太・占守島戦没者遺骨収集派遣団は、11月14日から11月22日の期間で実施され、本会から3人を派遣した。
派遣団は、ロシア連邦サハリン州スミルヌイフで、ピオネール基金がスミルヌイフ地区で発掘した遺骨3柱、ロシア調査運動が発掘した遺骨15柱を受領し、サハリン州政府の遺骨鑑定人の判定により日本人戦没者の遺骨であると確認を得た。
18日、気温がマイナス19度の極寒の中、受領した遺骨を焼骨し、追悼式を挙行した。
21日、遺骨を奉持して帰国した派遣団は、成田空港で遺骨を厚生労働省へ引き渡した。翌日、厚生労働省で拝礼式が執り行われ、参列者は祭壇に献花し、戦没者の冥福を祈った。
日本戦没者遺骨収集推進協会は、旧ソ連抑留中死亡者遺骨収集派遣ハバロフスク地方第1次及びアムール州を7月3日から19日までの17日間、実施した。本会からはハバロフスク地方に2人、アムール州に4人が派遣協力し、JYMA日本青年遺骨収集団からの参加団員と、気温が40度近くにもなる環境の中、埋葬地での遺骨収容に従事した。
ハバロフスク地方第1次遺骨収集派遣団は、ウクトゥール村の第1収容所第2支部第310病院の埋葬地で作業し、2柱を収容した。その後、ソールネチヌイ地区ゴーリン村に入り、第4923野病ゴリン居住地墓地及び第5収容所第4923野病墓地で作業し、29柱を収容した。収容したすべての遺骨を丁寧に洗骨した派遣団は、ゴーリン村で焼骨した後、追悼式を執り行い御霊の冥福を祈った。
アムール州遺骨収集派遣団は、シマノフスク地区セレトカン村北方8キロ地点の埋葬地で6日間にわたる遺骨収集を実施した。埋葬地までは宿舎から毎日乗り合いトラックで整備されていない道路を約1時間半かけて往復しての作業であったが、24柱の遺骨を収容し、セレトカン村で焼骨式及び追悼式を執り行った。
7月18日、ハバロフスク地方第一次、アムール州両派遣団は揃って日本へ帰還し、翌日千鳥ケ淵戦没者墓苑での引渡式に臨み、参列した関係遺族が見守る中、厚生労働省に遺骨を引き渡した。