トップ » 検索結果
沖縄戦の組織的戦闘が終結した昭和20年6月23日からまもなく78年となる。本土防衛の最後の砦として、戦死者は約20万人以上、県民の4人に1人が犠牲となったとされる。
映画「島守の塔」は、終戦末期の沖縄で、県民の姿と、本土より赴任した島田叡県知事と荒井退造警察部長の苦悩や葛藤を通して、戦争の悲惨さ、平和の尊さを考える一作となっている。
我が国の国民の9割が戦後生まれとなる中、戦争の風化を危惧する報道機関、中でも警察部長荒井退造氏の出身地である栃木県の下野新聞社などの新聞社やテレビ局が中心となって制作された。
劇場以外のホールや公民館、学校などで上映会も実施出来るため、ぜひ各地で開催を検討願いたい。
書籍(映画ノベライズ「島守の塔」)も販売中。
問合せ先:映画「島守の塔」製作委員会事務局(下野新聞社 内)
℡:028・625・1145
75年前の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が犠牲となった。沖縄県は、旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日を「慰霊の日」としており、糸満市摩文仁の平和祈念公園で毎年沖縄県主催の全戦没者追悼式が開かれている。今年は新型コロナウイルスの影響により大幅な縮小規模で開催された。
今年は、新型コロナウイルスの影響で県外からの来賓や一般の県民の参列は見送られ、これまで五千人規模だった参列者は県内の招待者百六十人余りとなり、正午に一分間の黙禱を捧げ、式典が挙行された。
午前8時30分、雨が降りしきる中、本会から参加遺族76人をはじめ県内外から約650人が、糸満市役所前に参集し、第58回平和祈願大会が開催された。
開会のことばに続き、沖縄戦の犠牲者に対し黙祷が捧げられた。宮城篤正沖縄県遺族連合会会長が挨拶し、本会を代表して、水落敏栄会長(参議院議員)が挨拶した。次いで戦没者代表による平和アピール(別掲)が採択され、平和祈願大会は終了した。
午後9時、水落会長、古賀誠名誉顧問らを先頭に、団旗を掲げた平和行進団は、最後の激戦地となった糸満市摩文仁を目指し、時折激しい雨の降る悪天候の中出発した。参加者たちは、砲弾降りしきる中歩き続けた戦没者が辿った道程を一歩一歩踏みしめながら、犠牲者の冥福を祈り、世界の恒久平和を願い8.3キロを行進した。午前十一時、平和記念公園に到着、沖縄全戦没者追悼式に入場すると、式参列者から大きな拍手で迎えられた。
全戦没者追悼式には、安倍晋三内閣総理大臣や衆参両院議長のほか外務、防衛、厚生労働、沖縄担当の四閣僚が出席し、県内外の遺族ら約五千百人が参列して、正午の時報に合わせ黙祷を捧げた。追悼式では各代表が献花し、宮城会長が追悼のことば(別掲)を述べ、沖縄県の小学生が「平和の詩」を朗読するなど、会場は平和を願う祈りに包まれた。
午後2時、国立戦没者墓苑で本会主催の拝礼式を挙行し、慰霊碑に献花をした後、摩文仁の丘、米須霊域に建立されている各都道府県の慰霊塔を参拝した。
夜には、平和祈願慰霊大行進の本会参加者と沖縄県遺族連合会代表との懇談会を開催した。参加者は意見を交換し、交流を深め、来年も「慰霊の日」に再開することを誓い合った。
日本遺族会では、毎年6月23日に沖縄県遺族連合会と共催で実施している「沖縄平和祈願慰霊大行進」が今年で58回目を迎え、参加者を募集している。この事業は、先の大戦で多くの尊い命が失われた沖縄戦を振り返り、砲弾降りしきる中、苦難の撤退を余儀なくされた戦没者が辿った道程を行進し、平和を祈願するものである。
全戦域の戦没者遺族が参加可能であり、家族での参加も歓迎する。特に孫・ひ孫等の青年部が多く参加され、戦争の悲惨さ、平和の尊さを学び、語り継ぐ機会としてもらいたい。
参加募集要項は以下のとおり。
募集要領
▼期間 6月22日(土)~24日(月)2泊3日
▼費用 約3万6千円程度。
※費用には宿泊代、食事代、バス借上げ代、添乗員費用、懇親会費用等が含まれる。
㊟参加人数により費用は異なります。また、自宅から沖縄の往復交費、那覇空港から那覇市内のホテルまでの往復交通費
は個人負担となりますので、各自お手配ください。
▼宿泊 パシフィックホテル沖縄
▼申込先 在住する各都道府県遺族会事務局へ
▼申込締切 5月10日(金)
なお、行進する道程は、糸満市役所から摩文仁までの約8.5キロとなります。
日本遺族会主催による沖縄戦跡慰霊巡拝団を10月23日から27日までの5日間実施した。
沖縄戦跡慰霊巡拝団(団長・盛川英治事務局次長)は、10月23日午後、父を沖縄戦で亡くした戦没者の遺児六人と戦没者の孫一人が、那覇市内の沖縄かりゆしアーバンリゾート・ナハに集合。結団式を行い、3日間にわたる慰霊の旅に備えた。
翌24日朝、沖縄県護国神社で正式参拝を行い、旅の安全を祈願。その後、沖縄南部方面の慰霊に向かい、東風平の「八重瀬之塔」、具志頭の「魄粋之塔」、摩文仁の「勇魂の碑」、豊見城の「海軍戦没者慰霊之塔」でそれぞれ、亡き父への思いを述べた。24日は伊江島に向かい、島内にある「芳魂之塔」で戦没者の子とその孫が、伊江村遺族会の新城孝雄会長参列のもと、追悼の言葉を述べた。その後、新城会長の案内で島内戦跡を巡り、当時の状況について説明を聞いた。午後は、首里市に戻り、首里平良町の「平魂之塔」において、ご英霊の冥福を祈った。
26日午前は、対馬丸記念館の視察。ひめゆりの塔への参拝と、ひめゆり平和祈念資料館の視察をした。午後には、摩文仁の丘にある「国立沖縄戦没者墓苑」において、沖縄県遺族連合会の宮城篤正会長参列のもと、全戦没者追悼式を挙行し、ご英霊に感謝と哀悼の誠を捧げた。
同夜、沖縄県遺族連合会の役員らを招いて懇親会を開催、戦跡を巡った旅の思い出を語り合うとともに、再び沖縄の地を訪れることを誓った。翌27日、各々帰路についた。