トップ » 日章旗等返還の取組み » 戦没者等の遺留品返還事業 遺族への返還相次ぐ
本会が厚生労働省から委託を受け、OBONソサエティと連携し実施している「戦没者等の遺留品返還に伴う調査」事業で、日章旗等の遺留品が3県で遺族へ返還された。また、佐賀県遺族会から捜索を依頼された56枚の海軍兵士の肖像写真では、これまで24枚について遺族が判明し、返還が完了している。
日本遺族会は、平成25年からOBONソサエティの遺留品返還活動に協力しているが、平成30年度に「戦没者遺留品の返還に伴 う調査」事業が新たに予算化され本会に事業が委託されてから、遺留品の調査依頼が急増し、それに伴い返還数も増加している。
また、OBONソサエティ以外に本会が直接調査依頼を受けた遺留品についても、返還につながるケースが増えてきている。
特に本年度は、佐賀県遺族会から遺族が所有していた兵士の肖像写真56枚を本会が預かり、調査を続けており、24枚が関係遺族へ返還されている。写真は、昭和18年7月に海軍の工作兵修業が終了し、一人ずつ記念写真を撮った若い水兵で、写真の裏には、自分の名前、住所、戦地へ赴く決意、指導を受けた教班長への感謝の言葉などが記されている
兵庫県、長崎県、高知県で、遺留品がそれぞれ遺族に返還
兵庫県では、米国オハイオ州のジェフ・ブラウンさんが、元米兵の父が戦地から持ち帰り譲り受け保管されていた軍事手帳が、フィリピン群島で戦死した兵庫県淡路市出身の開(ひらき)佳積(かづみ)さんのものであることが判明し、11月26日に、淡路市の伊弉諾神宮で宮司立ち合いの下、谷忠義淡路市遺族会会長から、従兄弟の開優さんへ軍事手帳が手渡された。優さんは、「亡き父からよく話を聞かされ、無念だったでしょうが、魂は手帳と一緒に淡路島に帰ってきてくれた」と語った。
長崎県では、米国ワシントン州在住のキャスリーン・マックデイドさんが元米兵の義父が戦地から持ち帰ったのを譲り受け保管していた日章旗が、ビルマで戦死した長崎市出身の坂田均一さんのものと判明し、11月25日、長崎県護国神社で返還式が行われ、宮司から坂田均一さんの実妹である三浦シズエさんに手渡された。均一さんは、男四人、女五人兄弟の三男で、当時小学校六年生だった三浦さんは、「みんなで日の丸に寄せ書きを書いていたのを思い出した」と、懐かしそうに話し、改めて日章旗を見つめ、涙ながらに関係者に感謝の言葉を述べていた。
高知県では、米国コロラド州在住のダニエル・ペルさんが所有していた日章旗が、安芸市東浜出身の大西賢一郎さんのものと判明。また佐賀県遺族会から預かった写真の一枚が同市土居出身の五藤忠雄さんであることが分かり、12月7日、安芸市社会福祉協議会の会議室で、高知県遺族会大石綏子会長らが出席し、返還式が行われた。両名とも戦地から生還し、大西さんは1996年に、五藤さんは2008年に亡くなっている。
大西さんの日章旗は長男の正人さんへ返還され、正人さんは、「父の墓へ持って行き『帰ってきたで』と報告したい」と話した。また、五藤さんの弟の妻扶佐子さんへ引き渡された写真の裏には、「御健康ト御幸福ヲ御祈リ致シマス」と教班長の健康を祈る文言が書かれていた。