ボルネオ・マレー半島
安齋満本会評議員(福島県遺族会会長)を団長とするボルネオ・マレー半島慰霊友好親善訪問団は、10月29日全国の遺児代表10人が東京の靖国会館で結団式を行い、30日シンガポールを経由し彼の地で慰霊のため翌31日、マレーシア最南端の都市ジョホールバルに第一歩を印し、それぞれの縁の地へ向かった。
マレー半島では、ジョホールバルの旧南方第三陸軍病院跡(現在はサルタナ・アミナ病院)で慰霊祭を行い、亡き父に積年の思いを語りかけた。
ボルネオ島では、コタキナバルの南方第十一陸軍野戦病院跡(当時はゴム林で現在は高層マンションが立ち並ぶ近隣の公園)、サンダカン死の転進の行軍路となったラナウ、ミリ北西遥か海域が一望に見渡せるカナダヒルでそれぞれ慰霊祭を行い、亡き父の冥福を祈った。
その後ラブアン島に渡島し、幾度も斬込が繰り返され守備隊玉砕となった飛行場で慰霊祭を行い、家族の近況報告をし亡き父を弔った。
友好親善事業の一環では、ラナウのブンダートゥハン地区にある孤児院を訪れ学用品等を寄贈し、子どもたちと唄や踊りで交流を深め、ミリの老人施設では車椅子を寄贈し意見交換がなされた。
11月6日、ラブアン島の「ボルネオ戦没者の碑」において、在コタキナバル領事事務所の加古志保所長参列のもと、全戦没者追悼式を挙行しご英霊に感謝と哀悼の誠を捧げ、七日帰国の途についた。
フィリピン
フィリピン慰霊友好親善訪問団(総括団長=畔上和男・本会専務理事他60人・付添5人)は、11月8日靖国会館に集合し結団式を行い、翌日、フィリピンに向け成田空港を出発した。
午後、首都のマニラに到着した一行は6班に分かれ、それぞれ亡き父の縁の地へ移動し、翌日から慰霊巡拝を行った。一方ルソン島のA・B班はマニラ市内のタギック地区にある「無名戦士の墓」に赴き、碑に花輪を手向け敬意を表した。
A班(11人・付添1人)は、マニラ市内ルネタ公園、東方山地のボソボソ、ワワダム、マリキナで、B班(9人)は、キャピテ、パオ、パタンガス、クエンカで、C班(12人)は、クラーク、ゴンザレス、サンフェルナンド、バギオで、D班(8人・付添2人)は、アンガット方面、バレテ峠、ラモ、オリオン峠で、E班(11人・付添2人)は、パナイ島ナソ岬方面、ミンダナオ島ダバオ市内のカタルナン、ダリアオ海岸で、F班(9人・付添1人)は、セブ島セブ市内、レイテ島オルモック湾付近、カンギポット山方面、東海岸でそれぞれ慰霊祭を行い、共に散華された英霊の冥福を祈った。
14日にはカリラヤにある日本政府建立の「比島戦没者の碑」前において全班揃って、全戦没者追悼式を挙行、ご英霊に感謝と追悼の誠を捧げた。
また、友好親善事業では、各班とも現地で小学校と病院を訪問し、スポーツ用品、学用品、衣類、車椅子等を寄贈し、記念植樹を行うなど、子供たちや現地の方々と友好を深めた。
15日、所期の目的を果たした一行は、それぞれの思いを胸に全員無事に帰国した。
マリアナ諸島
永澤庄一郎本会常務理事を総括団長とするマリアナ諸島慰霊友好親善訪問団は11月20日、全国の遺児代表30人が靖国会館に集合し結団式を行い、靖国神社にて昇殿後、前泊の成田へ移動。翌21日亡き父の眠るマリアナ諸島に向け、2班に分かれて出発。
A班一行はグアム島のジーコ、アデラップ岬、アサン岬、サイパン島のサイパン神社、アスリート飛行場跡、ヒナシス、タッポーチョ山、地獄谷をめぐり、B班一行は、テニアン島の西ハゴイ地区、カロリナス、タガハウスパーク、サイパン島のパナデル飛行場跡、地獄谷、タッポーチョ山、サイパン神社を巡りそれぞれ慰霊祭を執り行い、亡き父に積年の思いを語りかけ、共に散華された英霊の冥福を祈った。
25日の午前にはサイパン島の北マリアナ公立病院に車椅子を、ガラパン小学校には、団員が持ちよった学用品等を寄贈、現地の関係者と友好を深めた。
同日午後、サイパン島マッピの「中部太平洋戦没者の碑」前において、在サイパン領事事務所の小野一彦領事ご夫妻参列のもと、全戦没者追悼式を挙行し、中部太平洋諸島及び周辺海域で戦没された英霊に感謝と追悼の誠を捧げた。
同夜、小野領事をはじめ、北マリアナ公立病院の代表者を招いて懇談会を開催し、現地の関係者と親睦を深めた。
全日程を終了した一行は、26日帰国の途についた。