本会主催によるマリアナ諸島戦跡慰霊巡拝団は11月27日から12月1日までの五日間、戦没者の遺児とその配偶者、甥、孫、姪の六人が参加し、グアム島、テニアン島、サイパン島の各戦域を巡り、縁の地で祭壇を設え、故郷から持参した懐かしい品々を供えて慰霊祭を執り行い、亡き肉親に涙ながらに語りかけ、冥福を祈った。
マリアナ諸島戦跡慰霊巡拝団(団長・盛川英治事務局次長)の参加者は11月27日、成田空港に集合し、同夜、グアム島に向け出発、28日未明に到着した。
28日、グアム島中部の旧本田台(現ミッションヒル)に到着。旧明石(現アガナ)湾を望む高台において、戦没者の子が母の苦労を語り、甥は、遠くフィリピンに眠る伯父に追悼を述べた。その後、ジーゴに向かい、グアム平和慰霊公苑を訪れ拝礼した。同日、夕闇迫るサイパン島に到着。
29日、サイパン空港から2機の小型機に乗り、テニアン島に到着。島南端の56警備隊慰霊碑において、戦没者の子とその妻が、亡き父に近況を報告した。慰霊祭終了後島内を巡るとともに、ガイドの方から、テニアン島内に眠る遺骨の調査が現在進められ、先日、多くの遺骨が見つかったと聞かされる。
サイパン島に戻り、空港周辺を守備していた部隊が島の南端に追い詰められたナフタン山を望む海岸において、戦没者の孫が、「後世に事実を正しく伝え、風化させないこともこの慰霊の深い意味だと認識した」と語った。
30日、サイパン神社にて戦没者の姪が亡き伯父に「いつか慰霊の旅に来たかった。今回その願いが叶った」と話された。その後、タポッチョ山、婦女子等が身を投じたスーサイドクリフ、12年前に天皇皇后両陛下が御拝礼されたバンザイクリフ等、戦跡を巡った。同日、スコールが止むのを待ってから、中部太平洋戦没者の碑前において、合同追悼式を挙行した。